陶磁器の旅 ceramic weekends (Japanese text only, English comes later..)

8月4日、河井寛次郎の展覧会に行った。ちょっとした行き違いから数週間口をきいていなかった母が、喧嘩の前に応募していた河井寛次郎の孫や濱田庄司の孫らによるトークショーに当たってしまったからあんたも来んさい、というのだ。まだ胸はむしゃくしゃしていて、母と展覧会でどう接したらいいのかわからなかったが、これを逃すと一生話せなくなりそうな気がした。そこで、わかった、と返事した。

トークショーが始まるまでに数十分あったので、さらっと展覧会を見た。鉢に、皿に、壺に、箸置きに、硯箱。ぽってりした丸み。何色にも収まらない釉薬の変化。一つ一つの肉厚な表情を見ていると、ささくれだった気持ちがゆっくりと溶けるように落ち着いた。いくらでも見ていれると思った。トークショーのあとは父と母と、下のライオンで何ごともなかったようにビールを飲んだ。よかったよかった、というわけだ。

ところが、あの陶磁器の美しさは酔いが醒めても喧嘩が冷めても、ひかなかった。

翌日曜日の12日には、世田谷美術館で開催していた濱田庄司の展覧会に足が向いた。

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世田谷美術館、没後40年濱田庄司展2018 6/30-8/26

それで次の日曜、19日には、目黒美術館でやっていたフィンランド陶芸展に足がのびた。これがまたよかった。

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図録:上は、没後50年河井寛次郎展 2018 7/7-9/16(パナソニック汐留ミュージアム)下は、フィンランド陶芸展 2018 7/14-9/6 (目黒美術館)

河井寛次郎と濱田庄司が陶芸の道に入った1900年代初頭は、フィンランドでもArabiaが力をつけはじめていた頃だった。今ではシンプルで実用的なデザインや可愛らしいムーミンカップが日本でも知られているArabiaだけれど、その軌跡には多様な芸術家の取り組みがあり、そこには河井や濱田が影響を受けたイギリスのスリップウェアの影響もあったそうだ。

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家の食器かご。日常使いのアラビア食器。

次の週末では、祖父の誕生日会で久しぶりに叔父に会った。色々話すと、「道に悩むくらいなら美術を見なさい」と、縄文展の招待券をくれた。そこで翌金曜31日には、縄文展へ。ナンタルチア!人は、1万年以上前から土をひねくり、デザインしていた。その流れ、うねり、表情は、1万年という途方もない時なんてなんでもないってかんじで、稲妻のように私に届いた。

この模様はどこから着想を得たのかな、なんでこの土偶の口はあいているのかな、なんで唇にぼつぼつがあるのだろうか、など考えても考えても分かりっこないことをひたすら考えてしまった。image_6483441 (2)

9月6-8日は、遅い夏休みで、人生初めてのソウルへ行った。白磁や青磁を見たいと思って。

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18世紀の白磁壺 (National Museum of Korea)

そこではなんと、1323年に中国を出発していて朝鮮半島沖で沈没した船から1976年に発見され引き上げられた、24,000点におよぶ白磁や青磁器の特別展が開かれていた。

 

これらの徳利に、お茶碗に、壺に、それからお金や香辛料は、京都などの寺や貴族が注文したということが同封されていた木札の印から分かっている。彼らは沈没のニュースを聞いてさぞかし嘆いただろう。600年後に日の目を見て、一人の日本人にソウルで感動を与えるなんて、思ったろうか。

9月11日からは、日本民芸館の李朝白磁展が始まっている。

陶磁器しりとり、まだまだ続く。

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